はるには

俳句と着物と好きなもの

舞台と映像版のオタクが映画CATSを観てきた

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■はじめに
色んな意味で話題になっている、映画『CATS』を観てきたので感想を書きました。
自分のスペックは、舞台は五反田時代に通い(でもトータル20数回くらいしか観てなかった。学生割引や返還席にお世話になりました…!あとジェリクルギャラリー好きだったな。回転席とはまた違う迫力があった)、映像版も繰り返し観て、本や各国CDも集められるだけ集めては楽しんでいる系のオタクです。
たぶん殆ど褒めていないので、映画版最高だった~!って方はお帰り下さい。褒めていないどころか、モヤモヤした部分を、なんでこんなにしっくり来ないんだろうと長々書いています。好きな方ごめんよ。
舞台や映像版の話も多く出てきますがネタバレ含めご了承下さい。ネタバレしかしてない。CATSと言われると食いついてしまうオタクだから映画も見に行きました。

舞台や映像版を知らない方が映画を見てガッカリしたり、または面白おかしく出回っている酷評を見ただけで、「『CATS』ってこんなもんか」という判断はしてほしくないなあという気持ちもあって、映画と舞台はこんなに違いがあるよ、という内容になっているかと。比較の意味合いもあって、半分くらいは舞台の感想だなこれ。

■オーバーチュア

色々と前情報きいてて不安だったけどさ~!もうこの音楽が流れると条件反射でワクワクするよね!ロンドンの街並みからジャンクヤードへ!!来た来た~!ってテンション爆上がり。そう、思えばここが一番テンション上がったシーンだった。私のテンションここがピーク。

舞台版は真っ暗の中、いきなりドーンと音楽が流れだし、(物理的に)目を光らせた猫たちが観客席を走り回ります。身近に感じる振動と共に、何が始まるんだろう?とぞくぞくするシーンです。
映像版は同じく真っ暗の中、猫の目(ロゴ的なもの)が光ります。手抜きとか言ってはいけない

■ジェリクルソング

主役のヴィクトリアを囲むように猫たちが歌い始める。全体的に色が白っぽく感じてちょっと区別が付けにくい。DVD化されたらここは繰り返して誰が誰なのかじっくり見たいな…ただカメラワークが揺れるブレるで酔いそうになった…早速テンションちょっと下がる。

舞台・映像版だと、猫たちがジャンクヤード(ごみ捨て場)に集まってコーラスをするシーン、最高潮になったとき、パッと窓の明かりがついて、「うるさい!」とばかりに古びた男物の靴が上から降ってきます(これは映像版インタビューに解説あり)。猫の視点から見た靴の大きさに改めて驚き、猫の世界を私たちは見ているのだと思わせてくれる印象的な部分なので、映画で無かったのはちょっと寂しかったかな…と思ったけど、こんなのはまだ序の口だったわ。
また最後に「あそこに驚いてる顔をした人間(観客)がいるぞ」「ジェリクルキャッツを知らないだって?」「では色々な生き方の猫を紹介しよう」という感じで、はじめから人間(観客)に向かって話しかけてきます。映画はヴィクトリアに向けて紹介を始める感があるので、ここの違いが最後の「挨拶」シーンにも影響を及ぼしているのでは?

■ネーミングオブキャッツ~インビテーション

やっぱりヴィクトリアちゃんに説明する感じになるのね。主役だからね仕方ないね。
ヴィクトリアちゃんは可愛い。ミストも可愛い。私の知っているミストは大人しくも小さくも可愛げもない(そこが可愛いんだけど)wミストだったりするので、このミストは新解釈可愛い。ヴィクトリアも不思議ちゃん的なイメージあったので、新鮮可愛い。キャストや国によってキャラクターの解釈が違うのもCATSの醍醐味だったりするので、猫の数だけ可愛いがある。
よく言われている『猫人間』には段々慣れてきます。この2匹が可愛いから。ただ時々、メイクもう少し濃ければな~顔の部分だけ浮いてるんだよな~と我に返ります。返りたくなかった。メイク濃くして衣装と馴染ませてあげて。

舞台版のネーミング~では、猫たちが舞台から降りてきて、人間たちに語りかけてきます。至近距離で直接目が合うのでドキドキものです。中には、ほぼ1人だけをターゲットにしてずーっとにらめっこしてくる猫もいたので(キャストさんと役による…あのタンブルブルータスのことです)心臓に悪いけど楽しいです。とにかく舞台版は猫が降りてくる。降りてくる。
そして舞台・映像版ともに、月の光を浴びてのヴィクトリアのソロダンスは神秘的で美しいです。CATSの見せ場のひとつ。ストーリー上仕方ないとはいえ、映画ではそこまで際立った美しさが無かったのは勿体なかったと思うんだよね…CATS舞台は映画以上にダンスと歌しかないわけですが、それでも飽きないのは、ソロと群舞とのメリハリが大きいからだと思います。
インビテーションのミストもヴィクもそれぞれ可愛いし、ヴィクトリアとのダンスも素敵。映画で2匹のファンになった方にはぜひ舞台や映像版も観て欲しい。

■ガンビーキャット

おばさん猫きたー!アッ…ご自分で歌うのね…?ガールズたちは…いないのね…?あと正直言って品がねえな…可愛らしいおばさんが不在だ…いやこれもキャストの個性か…からの人面ネズミと人面G…前情報で知ってはいたけどキッツい…なぜ食べる…あのシーンは完全に映画オリジナルです。舞台や原作でもネズミやGをしつけたりしますが「食べる」表現は舞台はおろかエリオットの原作にもありません。何故加えた。

そういえば映像版のメイキングで、ウェバーが舞台化の話を持ちかけたとき、エリオット夫人(ヴァレリー未亡人)から「トム(エリオットのこと)はディズニーを断ったわ。マンガにされたくないから」と言われたという話をしています。Gのシーンなんて、まさにこの「マンガ」的な表現じゃないですか?マンガが悪いわけではないけれど、そういった面で原作者へのリスペクトがないのではと思います。

あと「こんな生活もう嫌だから選ばれたい」、こういった動機の説明は映画オリジナルです。原詩はもちろんですが、舞台では明言されていません。なぜ選ばれたいのか、説明はされていません。ただ「勇気のあるジェリクルは誰が選ばれるかを尋ねる」という表現はあります。別に今の生活が嫌だから選ばれたいのではなさそうです。ジェリクルだから選ばれたいのです。私たち観客はただ猫の世界を覗き見しているだけ。人間には分からないことが沢山あって当たり前なのです。映画ではそれを人間にも分かるように説明しちゃっているので、薄っぺらく感じることが多々ありました。

舞台・映像版では、おばさん猫の昼間の姿をマンカストラップが、夜中の姿をガールズと呼ばれる3匹の雌猫が紹介します。媒体によって違ったりもしますが(四季版はジェリーロラム、タントミール、ジェミマ。映像版はジェリーロラム、ディミータ、ボンバルリーナ)、おばさんを慕う猫たちがほとんどを歌い、おばさん本猫はあまり歌いません。
ネズミやGも出てはきますが、猫たちの仮装です。ジャンクヤード(ごみ捨て場)で、人間の使わなくなったガラクタ(おたまとか色々)を使って仮装するのです。中身は猫たちなので、真面目なのもいれば、やる気無さげなのもいます。その観察が楽しかったりします。そしておばさん猫がGたちをしつけながら行うタップダンスが楽しいナンバーなのです。なので映画のようなキモさはほとんど感じないので、映画のアレは本当にどうした。

■タガー

しかし思うのが、おばさんの性格キツくね?『去勢してる』とか、これも映画オリジナルですからね。舞台にも原作の詩にもないですから。台詞はだいたい映画オリジナルだと思ってもいいかもしれない。
そしてタガーは古今東西セクシーさを売りにしていると思ってたんですが、このタガーはそうでもないッスね。あっさりめ。そして地味。こんなに地味なタガーは初めてだ。それはまあ個性なのでいいとしても、あのミルクバーは無理でした。人間の生活している片隅で、実は猫はこんなことしてるんですよ~っていう設定が好きだったので、それをぶち壊すようなのは無理です。

舞台・映像版のタガーナンバーはスタイルとダンスがもっとセクシーです。映像版とかヤバい(でも映像版のタガーの一番ヤバいのは練習風景!グラサンにデニムのショーパン一丁のやつ)。雌猫にはきゃあきゃあ言われて、若手の雄猫には憧れられて、年配の猫には呆れられている感じです。舞台だと観客も巻き込んで大暴れします。前の方の席に座るときは気を付けてね!

■グリザベラ

いよいよグリザベラの登場です。今まで明るく楽しい雰囲気だったのが一転して暗く重くなる…はずなのですが、映画の場合は最初から割とギスギスしてる感があるのと、ちょくちょくマキャヴィティが出てくるので、グリザベラの存在が薄めに感じるのよね…
映画の場合は「選んでもらうために競い合う」という表現をしていましたが、舞台・映像版の場合はそのように明言はされておらず(1匹の猫が選ばれるというのは同じ)、競い合うという印象はありません(相性の悪い猫同士が時々舞台脇などでフーッ!シャーッ!とやっていますが、メインではない)。だから他の猫を呆れたりしながらもやさしい眼差しで紹介し、温かい空気が流れているのです。だからこそ、グリザベラが出てきた時に冷え冷えとした空気になるのが辛く感じる。おばさん猫のナンバーでおばさんを慕っていたガールズたちが今度はグリザベラに対して攻撃的な態度を取りつつ歌う。その比較があるのです。残念ながら映画ではほとんど感じませんでした。映画の場合は『競い合う』『他猫を蹴落としてでも』という印象を感じます。余所者のヴィクトリアに対しての猫たちや、おばさんとタガーのやりとりがギスギス感あるので、その延長に思えてしまう。
そして、マキャヴィティの登場シーンが多すぎる。舞台・映像版でもマキャは時々気配を覗かせますが、映画のように露骨には出ません。逆に追い払われても何度も姿を現すのがグリザベラです。マキャヴィティとつるんでいたとかいう謎の設定も映画だけです。その設定生きてたか?
CATSには主役はいない、ストーリーは無い、と思われがちですが、よくよく見ていくと、主役はグリザベラで、それに伴ったストーリーも見えてきます。一見分かりにくくはありますが、ちゃんと存在をしています。映画の、ヴィクトリアを主役にし、マキャヴィティの登場シーンを増やしたことで、それがさらに分かりにくく、希薄になっていると感じました。

■バストファージョーンズ

ご機嫌な感じでバストファさんの登場!マキャヴィティ?と思わせておいてのバストファさんの登場は面白かった。見た目も猫人間感が薄めでちょっとホッとした…けど、やっぱりご自分で歌うのね…そうねおばさんもういないもんね…とガッカリしていたら、解釈違い再び…食事のシーンきったねえな…おばさんナンバーでも思ったけど、この映画は品がない。食いしん坊だけどお洒落なバストファさんがそんな食い方しないだろ…とひたすらに下がるテンション。見た目はアレでも行動はスマートなんだぞ!そしてマキャヴィティお前はもう出て来るな。

舞台・映像版のバストファさんのナンバーは、やはり主に他の猫たちがバストファさんと掛け合いをしながら歌います。四季版は政治家となっていますが、原詩や映像版は食べ物の話だけです。が、話し方が政治家の演説っぽい。真面目な演説をしている風なのに、話している内容はひたすら食べ物の話、という可笑しさがあります。おばさんやガールズたちはからかう風に、雄猫たちは媚びを売ったりして、その違いも楽しかったり。
映画の評価で「自己紹介ばっかりしてる」というのをよく見かけますが、舞台版では、色々な猫がナンバーのメインの猫の紹介をしていくのです。たしかに紹介ではあるのだけれど、同じようで大きく違う。だから映画のような単調さをあまり感じないのだと思います。
四季版の食事のシーンは、雄猫たちがお皿をバストファさんの所にリレーのように回していくという感じのパントマイムで表現されます(いわゆるご馳走リレー)。パントマイムなので実際のご飯は見えませんが、時々つまみ食いをしたり、子猫にお裾分けしたり。自分のナンバーを持たない猫たちのファンになりやすいナンバーでもあります(ちなみに私はニコニコ笑いバキバキ踊っていた五反田の某カーバケッティ推しです)。

■マンゴジェリー&ランペルティー

だだ下がりしていたテンションが少し持ち直したナンバー。
海外版では珍しいマイナー調!CDだとロンドン初演の時はマイナー調→その後ブロードウェイはメジャー調→映像版もメジャー調(他の国のCDでもメジャー調が多い印象※)、日本でもマイナー調の時代が長かったので(最近メジャー調に変わった)、馴染みのあるマイナー調…というか明るくて楽しいメジャー調もいいんだけど、ちょっと怪しげな雰囲気が出るのはマイナー調だよね~と思っているので、マイナー調なのは嬉しい。
※手持ちのCD等で調べてみた
マイナー調→ロンドン、四季オリジナル、四季ロングラン、ハンガリー、今回の映画の計5つ
メジャー調→映像版、ブロードウェイ、オーストラリア、ハンブルグ、ウィーン、オランダ、新オランダ、フランス、ポーランド、四季メモリアル(上演中のやつ)の計10
マンペル2匹の目の回るようなダンスがあんまり無いのは寂しいけど、家の中で(ヴィクトリアを巻き込んで)大暴れするのは、映画ならではの醍醐味だと思う。
あと映画オリジナルのミストとヴィクトリアのやり取りが可愛い。本当に可愛い。もうこれメインで映画作ってよ。舞踏会とか別にやらんでいいから、CATSのスピンオフとしてヴィクトリアとミストフェリーズの話で映画作れば良かったんや。

…と思っていた矢先のグロールタイガー。こんなに悲しいグロールタイガーの使われ方があるか!!

舞台・映像版では、マンゴジェリーとランペルティーザの2匹しか出ません。その2匹が舞台上を所狭しと台風のように踊りまくります。
最後には皆に捕まってしまうのですが、デュトロノミーが登場することで無罪放免のようになる流れも好きですw

■オールドデュトロノミー

ジュディ・デンチのデュト様きたー!めっちゃ強そう!これならマキャヴィティ返り討ちにできるんでないか?!ってのが第一印象。
映画の大きな変更点のひとつがこのデュト様の性別変更だと思うんだけど、これは割としっくり来ました。何よりジュディといえば、初演の時に重要なキャストだった(グリザベラとおばさん猫のW)にも関わらず、直前のアキレス腱断裂で舞台に立てなかったという過去があるので、こういう形で今回CATSに出てくれたのは、すごく嬉しい。それにイギリスといえば女王陛下なので、女王感のあるデュト様もいいと思います!
…とテンション上がったのも束の間、タガー歌わないんかい…うん今までの流れでなんとなく理解はしてたけど…

舞台・映像版では、デュトロノミーはおじいちゃんです(原詩でもそう)。キャストによって可愛いおじいちゃんとか荘厳なおじいちゃんとか、色々違って皆可愛い。
そして映画ではマンクスの兄貴しか歌ってませんでしたが、タガーも歌います。お前も真面目(?)に歌うんだな…っていう謎の感動と、タイプの違う2匹のユニゾンが素晴らしいナンバーなのです。なんで映画タガー歌わないんだ…歌え…

■ランパスキャット

このナンバーはカットされてました。カットされやすいナンバーだと思います。四季では最近になって復活しました(CDのみでまだ未見)。映像版にはあります。マンクスの兄貴の胃に穴が空きそうな内容で楽しいです。
ジェリクルのリーダーが来たので、舞踏会を始める前にひとつ劇をしましょう、って感じの劇中劇です。犬たちの喧嘩を止める、(色んな意味で)偉大なる猫についてのお話。映像版だと、猫たちが紙袋やタバコの箱?で犬たちに扮装して大騒ぎするのが本当に可愛い。そして偉大なるランパスキャットの衣装がツッコミ所満載です。物理的に目を光らせたマッスルなスーパーマンです。これは犬も猫も人も逃げるビジュアル。映画に出てきたらカオス度が増したかもしれない。
でも最後はちょっとだけ深い内容がちらりと見えます。「犬も猫も等しく、いつか土に還る時が来る…」これがあるとラストの挨拶の「犬と猫」の話に深みが出る気がします。

■ジェリクルボール

こんなに尻尾が邪魔だと思ったことはない。
ソングあたりからずーっと気にはなってたんですけど、尻尾とかCGで作られたと思われる部分が、やっぱりどうしても不自然で、やけにぎこちなく感じるので、どんなにダンスが凄くても、どこか嘘っぽく感じてしまう。
あとカメラワークが…引きで見たいダンスシーンを顔のアップばっかりにするので、迫力がない。微妙に明るい室内に全体的に白っぽい猫たち、明るいから色んな背景がごちゃごちゃと見えてダンスに集中できない…
デュト様にうっとり嬉しそうなマンクスの兄貴とか超可愛いんですけどね。元々マンクスの兄貴推しなので嬉しい。マンクスの兄貴だけをずっとカメラで追っかけている特典映像が欲しい。

舞台・映像版は、とにかくダンスダンスダンス!です。20匹近い猫たちがそれぞれの個性を生かして、これでもか!と踊りまくるのです。自分のナンバーを持たない猫たちもすごい個性を持っているのです。人間の身体ってすごいなと、自分では踊れないと分かっていても、音楽に合わせて踊りたくなるくらい迫力があります。ちなみに尻尾は腰に付けている唯の『紐状のもの』なのですが、ダンスの中の動きで本当の尻尾に見えてくるからすごいです。

■メモリー、ビューティフル・ゴースト、ザ・モーメンツ・オブ・ハピネス

これはセットで書きたい。
あと正直、え…これだけ書いてようやく半分かよ…ってなったのでもう一気にまとめます。疲れてきた。
おそらくここがCATSの一番大切なシーンだと思うのですが、最大の解釈違いを起こしたため、これ以降どんどん死んだ魚の目になって観ていました。エンドロールが終わって明るくなるまでちゃんと観たのを誉めてほしい。抗え、最後まで。

映画では、舞踏会の休憩時間なのでしょうか、ヴィクトリアが外に出て、そこで舞踏会を追い出されていたグリザベラに出会います。グリザベラはメモリーを歌い、ヴィクトリアが返歌としてビューティフルゴーストを歌う。それを窓から見ていたデュトロノミーが独り言のようにモーメントオブハピネスを口ずさみます。映画はこの流れです。

舞台・映像版は、舞踏会でも追い払われたにも関わらず、またグリザベラが現れます。手を差し伸べようとする子猫たちもいますが、大人の猫たちに遮られ、猫たちは威嚇して去って行きます。デュトロノミーとグリザベラだけが残され、グリザベラは独りメモリーを歌います。デュトロノミーはグリザベラを気にしているようですが、グリザベラはそれには気づかないのか、去って行きます。重い空気のなか、ここで舞台の1幕が終わります。
そして2幕。猫たちがデュトロノミーの周りに集まり始めます。四季だとカップルで揃っていることが多いかな。ここで推しカプの観察が楽しくなると沼です。私はカーバケッティとディミータ推しです。デュトロノミーがザ・モーメント・オブ・ハピネスを歌います。四季では「幸せの姿」と訳されていますね。これはエリオットの別の詩、『四つの四重奏』の『ドライ・サルベージ』から取られています。短いながらも哲学的な内容です。
舞台上には居ませんが、ちょっと離れた所でそれを聴いているグリザベラを四季版では確認することができました。メモリーで「思い出よ甦って欲しい」と歌っているのに対して、幸せの姿では「体験は積んできたが、その意味を見失ってきた。その体験を別のかたちで甦らせてみることで、その体験を幸福に帰すことができる。それは自分だけのものではなく、幾世代にわたるものなのだ」と返しているのです(何度読んでも理解と表現が難しい。最後に書きますが、池田雅之さんの訳を読んでみて下さい)。そして生まれてまもない純粋な子猫(映画のヴィクトリアに当たる)が、メモリーと同じ旋律で「思い出を辿っていけば新しい命に出会えるわ」と歌います。その後他の猫たちも同じ歌を歌います。これがグリザベラのメモリーへの返歌となっているのです。この『同じ旋律で』というのが大事だと思っています。全員が1度この旋律で歌っているので、これがグリザベラの「メモリー(リプライズ)」を受け入れる土台になっているのかな、と考えています。
そして次のガスナンバーへと続く音楽もメモリーの旋律で、重かったあの1幕の曲が、月の光で浄化されていくような、とても綺麗な流れなのです。これをカットするとか本気でおかしい。

この流れが変わったのが、正直一番ショックでした。ビューティフル・ゴーストは単品で聴いたら良い曲かもしれない。ヴィクトリアを主役とするなら必要な曲なのかもしれない。
ですが、そのために、メモリーが霞み、グリザベラの物語が霞み、主題も霞んでしまったのではないでしょうか。

■ガス

ジェリロのいないガスナンバー?
ジェリロのいないガスナンバー??
そうね…今までの流れで分かってたさ…それにイアン・マッケランて大物をキャスティングしたんだから一人で歌わせた方がいいよね…一人芝居するガスもかっこよかったよ…うん…さすがイアン・マッケラン…ミストも可愛い…かごの中で寛いでいるデュト様も可愛い…はい次…

舞台・映像版では、ガスと一緒にジェリーロラムという雌猫が出てきて、ガスのことを紹介します。ガスにとっては孫や娘くらいの年齢の猫です(国とかによって違う)。おばさんナンバーやバストファナンバーではコミカルに、グリザベラに対しては冷たく歌っていたジェリーロラムが、キュートかつやさしくガスを紹介します。ジェリーロラムは女優猫。もう年老いてしまったガスを慕っているようです。はじめは聴いているだけだったガスもだんだん乗ってきて、色々と昔話を始めます。
映像版ではジョン・ミルズ卿が演じていました。歌っている部分は映画の半分くらいしかないけれど、ジェリロが歌うのに合わせての表情や仕草が最高に素敵でした。自分がメインとなって歌うだけが表現方法ではないと思います。
ちなみに彼の当たり役「ファイヤーフローフィドル」は四季では「炎の野獣」と訳されています。
ちょっと前後しますが、映画の終盤で、ガスが「ファイヤーフローフィドル!!」って言いながらグロールタイガー落とすの何だよ…必殺技かよ…やりたいことは分かるけど安っぽいよ…

■グロールタイガー

映画ではマキャヴィティの手下となっていて、あまりのちょい役なのが悲しいので、舞台版の説明。
舞台では、ガスが昔演じた役をもう一度やってみせよう!という劇中劇としてのナンバーです。ちなみにランパスナンバーもそうですが、原詩では別に劇中劇ではないです。普通に並び立っている詩です。その意味では映画は劇中劇ではないレアなグロタイですが、だからこそ扱いに泣ける。グロタイナンバーだけで一本映画できると思うよ。むしろそっちを作ってくれ。観たい。
ジェリーロラムはグロールタイガーを陥れる悪女のグリドルボーンを演じています。なんとなく怖い名前ですが、白くてフワッフワの可愛い猫となります。これは骨までやられるわ。マジ可愛い。暴れん坊の海賊グロールタイガーが、悪女のグリドルボーンに骨抜きにされた所を、天敵のシャム猫の軍団にやられてしまった!という内容です。
これは残念ながら映像版ではカットされています。四季版では残っているので、舞台で観て欲しいな。マンカストラップ、タガー、ミスト、スキンブルの演じるタイガーの手下がそれぞれやんちゃ可愛い。あとシャム猫軍団の隊長かっこいいので。五反田の棒で闘うギルバート大好きでした…!

■スキンブルシャンクス

タップダンスにアレンジ楽しかったです。ジェリクルボールでもそうだったのですが、猫がハッキリ靴と分かる靴を履いていると正直醒めるのですが、タップは楽しかった。スキンブルは歌のイメージが強かったけど、こういうのも新鮮でいいね、と思っていました。最後に高速回転しながら天井へ昇って行くまでは。

舞台・映像版では、スキンブルはダンスより歌のイメージが強いです。映像版は映画と近い「労働者」っぽい雰囲気、四季版は鉄道のアイドルとして車掌気取り(彼の帽子は上演区のJRから借りるらしい)と違いはありますが、猫たちがパントマイムで寝台列車を表現したり、傘や鍋の蓋、車輪などのジャンクで列車を作っていくシーンは本当に楽しいです。そして当たり前だけどこっちは回転しながら天井には登りません。

■マキャヴィティ

何故か回転しながら天井付近で消えたスキンブルに笑っていいのか泣いていいのか戸惑っていると、今度は逆に天井から誰か降りてきました。
もう分かっちゃいたけどディミータ歌わないんだ…そうね…テイラーさんとやらを最初にキャスティングしたらしいから、2匹より1匹で歌った方がテイラーさんが目立っていいよね…でも私はデミボン2匹での妖艶なダンスが見たかったよ…正直ダンスがショボいよ…マタタビ…?マタタビ…??私は何を見せられているんだ…そして溢れ出るマキャヴィティの小物感よ…お前はノットゼアしてろ…もう喋るな…私は何を見せられているんだ…

もう疲れたよパトラッシュ

舞台・映像版では、このナンバーでようやくちゃんとマキャヴィティが姿を現します。マキャのことを紹介するのはディミータとボンバルリーナの2匹。ボンバルがマキャの手下なのは映画オリジナル。この2匹は競い合うような、牽制し合うような、もしかしてマキャヴィティに惹かれているのかもしれない。妖しげなナンバーです。ダンスがセクシー。とくに映像版のボンバル。
マタタビを振り撒く…というかマタタビどこから出てきたのってくらい原作にも舞台にもありません。なのでかなり混乱しました。あと「マンゴジェリーやグリドルボーンとかの悪いやつは手下にすぎない、裏で手を引いているのは犯罪の王様マキャヴィティなのだ!」っていう詩をそのまんま映画は使ったって感じですね。舞台・映像版ではマンゴやランペ、グロールタイガー、グリドルボーンたちは別にマキャの手下になって活動しているシーンはありません。
そして舞台・映像版ではデュトロノミーを拐ったマキャヴィティと猫たちの闘いが行われます。特に映像版ではマンカストラップが勇敢に闘います。皆でなんとかマキャヴィティを撃退することには成功しますが、デュトロノミーは行方不明です。
映画では「自分を選べ」と執着していたマキャヴィティですが、それも映画オリジナルです。舞台・映像版では目的がはっきりとは示されていません。目的をはっきりさせた方がストーリーは作りやすいのかもしれませんが、マキャヴィティの小物感も出てしまったように感じます。目的が分からないままの方が不気味さを感じる気がするのですが…

■ミストフェリーズ

今までのコメディシーンでは正直全くというほど笑えませんでしたが、マジックでなんとかしろとミストに詰め寄るマンクスの兄貴に、ただの恐喝じゃねーかwwwと心の中で大爆笑しました。遅れてヤクマンかよ!ってなった(ヤクザなマンカストラップの略。スキンブルナンバーでマンクスの兄貴がちょろっと演じる)。最後の方にこんな面白いシーンがあるとは!頑張って観てよかった!マンクスの兄貴の出番が多いのは嬉しいんだけど、自信の無いミストにあんまり無理させないでw
ミスト可愛かったな~踊らなかったけど…本当にただのマジック猫じゃん…踊らないミストに歌わないタガーか…

舞台・映像版では、ミストフェリーズを紹介するのはタガーです。お前自分のナンバーよりノリノリじゃね?ってくらいテンション高いです。デュトロノミーが居なくなってしまって沈んでいる空気をがらりと変える力があるのはタガーならではかな~とも思います。(そしてマキャファイト後の兄貴には休息をあげたい。特に映像版。)ちなみに舞台や映像のミストは割と自信ありげなタイプ(でも密かにドキドキはしてる)。マジックもいくつか披露しますが、なんといってもミストフェリーズといえばダンスでしょう!さすが!すごい!マジカル!って素直に思っちゃうあのダンス。特に四季版がすごいです。ぜひ生で見ることをおすすめします。

■メモリー、ビューティフル・ゴースト

ごめんな…ここで感動してくれって分かりやすく示されると感動できない性質なんです…モーメント・オブ・ハピネスを経由していないメモリーなので、色々繋がりがないんだよね…その歌詞どこから出てきた…ってなるし、なんで皆受け入れるの…ってなった…あー主役のヴィクトリアちゃんのおかげかー皆メモリーに感動したかーそっかー(棒)

舞台・映像版では、またグリザベラが自ら姿を現し、猫たちは当然嫌な顔をします。ですが、ザ・モーメント・オブ・ハピネスで子猫と全員が歌った歌を、今度はグリザベラが歌います。そこからメモリーが始まるのです。子猫に励まされ、グリザベラは歌いきります。皆の表情が受け入れる形に変わっていくのは映画と共通ですが、大きく違うのは、ザ・モーメント・オブ・ハピネスでデュトロノミーの歌を皆が聴いているか、皆がメモリーの一部を歌っているか否か、です。それを経ていない映画版は、グリザベラの歌にただ感動しました~ってだけの理由になってしまいそうです。そんな簡単でいいのか。

■ヘヴィサイドレイヤー

昇れ天上へ(物理)
ミストがいなかったらどうやって昇らせるつもりだったんだこれ
そして最後のマキャヴィティ何あれ…必要だったか…?

舞台・映像版は気球ではなく、タイヤの上から階段を上がっ…いや霞のような雲のような感じの場所へ消えていきます。ジェリクルたちの祈りの力で昇っていくのだ、という解説をどこかで見て、なるほどと思った記憶があります。

■アドレッシング・オブ・キャッツ

はい、最初の頃に書いた、ヴィクトリアを主役にした弊害がここで出てきてしまいました。舞台は最初から人間(観客)に語りかけてきましたが、映画はヴィクトリアに向けてなので…ヴィクトリアを通して人間(観客)にも語りかけてはいたのでしょうが、最後にはヴィクトリアも向こう側にいるので、え…なんかいきなり話しかけてきたんだけど…感が出やすいです。
あと「いきなり猫は人間に似ているとか言われても…」ってなる。これは最初の『人間に対して語りかけている』プロセスが無くなってしまったための弊害。
そして見せ方が単調すぎる。とうとうスタッフ力尽きたのか?ってくらいカメラ適当じゃないですか?ほぼデュト様(+側に寄り添うヴィク、ミスト、兄貴)のアップばかり…デュト様もその3匹も好きなので、ずっと見られるのは個人的には嬉しいんですけど、そういうのはDVDのおまけとかでいいです。もっと猫全体だったり、他の猫も見せて欲しかった。

舞台版では、天上へ昇ったグリザベラ以外の猫がずらりと並び、デュトロノミーのあたたかく優しい低音が心地よく響くソロと、全員の合唱という、フィナーレにふさわしい迫力があって、大好きなナンバーです。
また映像版では、それに加えて映像ならではの顔のアップがありますが、映画と違うのは、デュトロノミーやメインの猫だけではなくて、ナンバーを持たなかった猫たちの顔も映していること。それぞれ個性のある顔立ちに、自分は今回選ばれなかったけれども、何かをやり遂げたような、すっきりした、堂々とした、とても良い表情をしているんです。
ここで「猫は犬ではない」という内容に引っかかる方も多いと思いますが、これはエリオットの原詩にもある通りで、そのナンセンスさを下らないなあと笑うのは、ある意味エリオットの狙い通りかもしれません。
ただ、それで終わりでも良いのですが、別の見方もできます。
「猫は犬ではない」当たり前じゃん、と思われがちですが、本当に当たり前だと私たちは理解しているでしょうか。無意識のうちに犬と猫を比べて、犬はこんなに従順なのに猫は気まぐれよね、とか思いがちではないでしょうか。それは猫からすれば重大なことなのではないでしょうか。人間はよく分かっていないから、わざわざ言わねばならぬほどに。
また、猫と犬を「それぞれの個性」や「ジェリクル族とポリクル族(種族としてもいいですが、ランパスナンバーを観ると民族ともいけそうです)」と捉えることも可能だと思います。振付のジリアン・リンの「これはジェリクル一族の話なのよ」という解釈もあります。自分の個性は他人とは違っていいはずなのに、他人と比べてしまったり、違う民族同士は違う部分があって当たり前なのに、それを認めずに迫害したり。
そして(カットされがちな)ランパスナンバーのラストで「犬も猫も等しく、いつかは土に還るときがくる」とも言っているのです。犬と猫は違いますが、それは同じなのです。

■エンドロール

いきなりメモリーかビューティフルゴースト流すんじゃね?とやさぐれていましたが、ボールの曲が流れたのは嬉しかったな。舞台だと猫たちが1匹ずつ(ナンバー持ちもそうでないのも)挨拶をし、映像版でも全員の映像を猫の名前とキャスト名と共に流してくれる時にかかった曲だから、いよいよ映画の猫たちも顔と名前がはっきり分かるぞ~と思ったら別にそんなことはなかったよね。ある意味最後までブレねえな。さすがだわ。
CATSで虚無になるという、ある意味一生に一度の体験だったかもしれない。お疲れ様でした。

■さいごに

舞台CATSの産みの親、製作のキャメロン・マッキントッシュ、演出の(エリオットの詩を元にメモリーの歌詞も書いた)トレバー・ナン、衣装や美術全般(全てを猫目線のサイズにするアイディアも)を手掛けたジョン・ネイピア、そして全身タイツにアーム&レッグウォーマー、ネコメイクネコカツラ…というビジュアルを仕草やダンスといった動きでしっかり猫に見せた振付のジリアン・リン。音楽(CATSを作ろうと持ちかけたのもそう)のアンドリュー・ロイド・ウェバーは勿論ですが、オリジナルスタッフの凄さを改めて感じました。奇跡的なバランス。それをちょっと崩しただけで今回の映画になってしまった。CATSの奇跡のミュージカルって奇跡的なバランスって意味もあんのかな…などと思ったり。

と、この記事を書くのに映像版おまけのオリジナルスタッフのインタビューを改めて観ていたのですが、映画化するなら『舞台CATSができるまで』をやった方が面白かったんじゃないかな?!ってくらいスリルのある話でしたわ…前代未聞の猫しか出ない話、集まらない資金と役者、偶然が重なってできた物語の筋、上演直前のメインキャストの大怪我、世紀の失敗作となるか大ヒットとなるか上演するまで分からない!またCATS映画化の話が出たときはこっちをお願いします!!

台詞が無くて歌とダンスばかりだという感想もよく見かけましたが、むしろ映画版は台詞めっちゃ増えてます。舞台は9対1、いや9.9対0.1かもしれない。っていうくらいに台詞がありません。ひたすら歌とダンスの連続で、だからこそ、ただただ圧倒されてしまう。台詞を増やし、歌を一部のキャストのみに歌わせ、ダンスの見せ場が少なくなったために、全部が中途半端になってしまったのでは?と思います。

そしてCATSの自由度の凄さを実感しました。今まで長々と書いてきましたが、これはあくまで私の解釈です。観た人が自由に解釈し、想像もできる。猫可愛い~とひたすら猫の観察をするもよし、ダンスと歌すげーってなるもよし、散りばめられたストーリーを探り、エリオットの詩のナンセンスを楽しみ、その中の深みを感じるのもよし、楽しみ方が幾通りもあるのです。
あの舞台からこの映画が生まれたことが正に自由度の凄さの証明だと思う。出来はどうであれ、舞台の行間からストーリーや台詞考えるの楽しかったんじゃないかな。
だけど、ミュージカルCATSの実写映画化という言葉には抵抗と嫌悪感を覚えるので、フーパー監督の二次…もしくは三次創作だと捉えたい。その上で私には合いませんでした、とそっと閉じることにします。

でも余力があったら吹替えは見たい。四季版の訳が馴染んではいるけれど、だからこそ新しい訳で新しい側面も見たいです。新しい訳が出たっていうのは嬉しいです。そこはありがとう映画。
パンフレットも購入しました。もしかしたらパンフには他の猫たちが載っているかもしれないと思って。別にそんなことはなかったよね。ネーミングオブキャッツの回収しないまま投げっぱかーい!ブレねえな。本当にさすがだ。でもなぜかシラバブの名前だけありました。映画のシラバブどんなんだっけ?むしろ海外ではレアな扱いじゃない?シラバブ。CDでは日本とフランスくらいしか見たことない。
この調子でDVD化されたら買っちゃうと思います。特典映像が気になるので。練習風景とかね!
CDもポチったのがそろそろ届きますが、もうキリがないのでここで止めます。

…とモヤモヤを書いてきた訳ですが、ラストのマキャヴィティのシーンについてしばらく考えていて、「これはそういうのが好きな人向けなんだ!」とようやく分かりました(遅い)。
つまり、勧善懲悪とか、分かりやすい話が好きな人向け。主人公が可愛そうな誰かを助けてあげて、邪魔をした悪役は酷い目にあってめでたしめでたし、っていう。
なるほど、これは自分の中の前提が間違っていました。舞台の実写映画化ってあったから、(いくら主人公をヴィクトリアにしたとしても)舞台寄りの解釈で行くのかな?って見てたからモヤモヤしてたんだわ。設定とキャラクターは舞台だけど、根本的な話はオリジナルと思えば良かったのかもですね。だからといって話が面白かったかと言われると…ですが。
タイトルを『CATS~白猫ヴィクトリアの冒険~』とでもしてくれれば良かったのに。

はじめにも書きましたが、ここまで長々と書いたのは、この映画だけを観て、もしくは評価(酷評)だけを見て「なんだCATSってこんなもんか、つまんねえな」と思って欲しくないからです。本来のCATSはもっと自由に楽しめて、沢山の魅力的なキャラクターに迫力のある歌やダンス、深いメッセージも散りばめられている作品です。どうかこの機会に、何十年と世界中で愛されてきた舞台、もしくは原作の詩、それらに触れていただければと思います。

■参考文献というかおすすめ

劇団四季「CATS」→いま大井町で上演中です。最近のバージョンはまだ観ていませんが、やっぱり生の舞台が一番かと。

・映像版「CATS」→少し前のものになりますが、歌とダンスの迫力、面白さは色褪せません。かなりお手頃価格で観られるのでぜひ。特典映像の舞台化オリジナルスタッフのインタビューも面白いです。

キャッツ[AmazonDVDコレクション]

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  • 発売日: 2018/03/20
  • メディア: DVD


・CD→
日本語
四季メモリアル…現在上演中のものはこちら。ランパスとタイガー両方揃っている。マンペルはメジャー調。

四季ロングラン…ベテラン揃いなので歌唱力も個性もすごい。馴染みがあるっているのもあるけど一番好き。マンペルはマイナー調。
英語
ロンドン…最初のやつ。試行錯誤な感じが見えて面白い。マンペルはマイナー調。あとビリー・マッコーのバラードは必聴。
www.universal-music.co.jp
ブロードウェイ…次のやつ。マンペルはメジャー調。でもミストが歌ってる。
オーストラリア…英語版で唯一ランパスとタイガーが入っている。マンペルはメジャー調。
欧州
フランス…シラバブはじめ雌猫たちの歌声がめちゃくちゃかわいい。フランス語の響き最高。こちらもランパスとタイガー両方あり。マンペルはメジャー調。
ウィーン…歌唱力は手持ちの中で一番だと思う。ほんとすごい。あとタガーのノリの良さよ。ハイライト版なのが惜しい!全部のナンバー聴きたかったよ~!マンペルはメジャー調。
・他音源→なんとエリオット本人の朗読!既にリズムが出来上がっている!という詩がいくつもある。エリオット先生良いお声。
T.S.Eliot Reads Old Possum's Book of Practical Cats

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  • 発売日: 2015/01/01
  • メディア: MP3 ダウンロード

・本→
原詩…日本語訳なら池田雅之さんのものが分かりやすいし手に入れやすい
www.chikumashobo.co.jp

解説…上と同じく池田雅之さんのもの。猫たちのネーミングから舞台の解説、エリオット本人についてまで。これを読むか読まないかでCATSの見えかたが大きく変わると思います。自分はこれを最初に読んでから舞台を観たので、解釈もかなり影響されていると思います。というか私の文章読むよりこっちの本読んだほうがいいわ。
www.kadokawa.co.jp

絵本…この2冊はもうね~ほんと可愛いからね~ただ見てるだけでホワホワしちゃいます。おすすめ。
www.holp-pub.co.jp

www.holp-pub.co.jp

※タイトル等ちょっと訂正して再公開2021/2/17