はるには

俳句と着物と好きなもの

春の山屍をうめて空しかり (虚子の句鑑賞)

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…というタイトルなので、春のうちに更新したかったのにー!!

着物と吟行に夢中になってたら、あっという間に夏になってました!早ーッ!

 

着物、ずっと気になってた東京のアンティークのお店やさんのイベントに行ってきました。ドラマに衣装提供していた着物が可愛かったり、その店主さんのコーデが好きだったりで憧れていたので、直接お話できたり、コーデを考えてもらったりして、しあわせでした~!夏の暑さが心配ですが、なんとか工夫して着たいな~

 

俳句の方は、はじめて一年めはひとりの先生につこう!と決めていたので、二年目の今年は地元俳句会の吟行に参加をしてみました。運よくいま所属している結社と傾向が近いのでありがたいです。結果。すっっごく楽しい!楽しい!!今までひとりでのんびりマイペースにぶらぶら作るのも楽しかったのですが、複数人で、何時まで何句!と緊張感を持ちつつ、知らなかった季語や言葉の使いかたを教えていただいたり、どういう所で句作をしているのか分かったり、俳句が何倍にも楽しくなった気がします。

 

ちなみに今回の写真は、親戚の家のりんご畑です。小さいりんごが可愛い。

 

 では本題に。虚子の「春の山屍を埋めて空しかり」の句を、ぼーっと春の山を眺めているときによく思い出していたので、あらためて鑑賞してみたいなと思います。

 

 

「春の山屍をうめて空しかり」高濱虚子)

 

この句をはじめて読んだとき、おそらく一般的な読みかたと同じだと思うのですが、「空しかり」を「むなしかり」と読んで、「春の山に何かしらの屍を埋めて(墓を作って)むなしい気持ちになった」もしくは「春の山が芽吹いてきて屍(墓)を覆いつくしたので、むなしい気持ちになった」と解釈しました。

ただ、「春」なので芽吹きがあって、再生のイメージや救いのある感じだなと。これで秋や冬だったらひたすら辛い感じだし、夏だと生気に満ちすぎているし。なるほど生命は巡るんだなあ~とかライオンキングのサークル・オブ・ライフを口ずさんだり(あの冒頭のズールー語?の響きがすごい好きなので)

が!ネットで色々見ていたら、こういった記事が! 

knt73.blog.enjoy.jp

 こちらのブログの記事から引用させていだたくと、

 「空しかり」は単なる「むなしかり」ではない。虚子は「空然り(くうしかり)」ということを念頭においてこの句を詠んだのではないか?

 …とのことで、ななななるほど…!!と衝撃というか、納得というか、とにかくしっくりきたのでした。仏教用語の空か~!

そういえば前回の鑑賞では、悪人虚子の「悪人」とは仏教の「凡人」ではないか?と自分で書いたけど→

haruniha.hateblo.jp

他にも意外に仏教ぽい句が見つかるのかもしれません。そのうち探してみたいなあ…仏教さっぱりなので難しいかな…

 

というわけで、今回は「空しかり」は「むなしかり」ではなく「くうしかり」なのではないか?!という視点で鑑賞、裏付けがないか探してみました。

 

 

私的解釈

まず、解釈としては「春の山に屍を埋めて墓とした。もしくは春の山が屍を覆った、春の芽吹きで満たされている。なるほどすべては空である」…という感じでしょうか。

「空」とは「もろもろの事物は縁起によって成り立っており、永遠不変の固定的実体がないということ」

「色即是空」とは「色とは現象界の物質的存在。そこには固定的実体がなく空であるということ」

「空即是色」とは「固定的実体がなく、空であることによってはじめて現象界の万物が成り立つということ」(いずれも広辞苑より)

それらを踏まえると、「むなしかり」ではなく「くうしかり」とすることで、春の山の芽吹きと屍の、生命が巡る感じが協調される気がします。

 

作られた状況は?

また、この句は虚子の死の直前、昭和34年3月30日に作られたそうです。その翌日の夜に急変、昏睡状態となり、4月8日に亡くなりました。

この句が「虚子が死を予感して危機を暗示したもの」と捉えるひともいたそうですが、弟子の富安風生によると「ただあの句に不吉な影がさしていると思えば思われもするが、たまたま句会の席にかかっていた額の頼朝を詠んだ詩句に因って詠まれたもので『春の山』の句を辞世的なものにこじつけたら、先生は苦笑いすると思う」とのこと。

何の屍だ…と思っていましたが、頼朝を詠んだ詩句だったのですね。どんな内容だったか気になるところです。頼朝自身の墓のことなのか、鎌倉幕府を作るにあたっての犠牲者とかなんだろうか。これはまたそのうち調べてみようと思います。

ちなみに虚子の最後の句は31日に書かれたと思われるハガキに添えられた句で

「獨り句の推敲をして遅き日を」

のようです。

 

素十の文章から

そして「くうしかり」説について、弟子の高野素十の記述から、関連のありそうなものを書き出してみました。

まず、虚子昏睡の様子を書いた「ただただ荘厳」という文章から。

 

「全く思いもよらぬ事であった。(中略)

 (中略)四月一日夜発病、経過はこれこれ、いま昏睡の状態と症状を聞いた時は、立ったままただ茫然としてしまった。そこへ立子さんと晴子さんが現れて、先生をお見舞して行けと云われるのであるが、私は全くどうしていいか分からなかった。

 病室の安静を乱してはと思うものの、どうしても見舞つて行けと云われるままに晴子さんの後に従って病室へお見舞に上った。

 新しい部屋、新しい障子明りの中に先生は仰臥しておられた。私と晴子さんと看護の一婦人と三人、皆無言、先生の安らかな整った呼吸だけがかすかに響いてくる。何よりも先生に苦痛の影のないと云う事が一番有難いことに思えた。

 立派なお顔であった。いままでに曾てこんなに迄立派なお顔を排したことはないと思うほどのお顔であった。その立派さはただの立派とか端正とか云ったものでなくて、荘厳とまで思へる立派さであった。そのためか室全体までが荘厳の光りに包まれておるように感ぜられた。釈迦の涅槃というものもこのような荘厳な感じをもったものではなかったろうかというような考えをもふと思い浮べる程であった。その間は一二分のところであったと思うが、ただ頭の下がる思いで病室を退出した。

 書斎で立子さんと晴子さんから少しの間であったがいろいろ話を窺った。先生の句帳の最後に

   春の山屍をうめて空しかり

という句が記してあったと云って立子さんが句帳を開きながら話してくれたが、その頁の字は見なかった。

 その最後の句もまことに荘厳、先生の高臥のお姿もまことに荘厳、生とか死とか悲しとか淋しとかそういう他のすべての感情を超越して、ただただ荘厳という一言に尽きるという思いであった。

 虚子庵の外は雑沓の花の鎌倉であった。華正楼の近くの大仏の境内を歩きながら、晴子さんが虚子先生を見舞えと何度も強く言われた心持が判るような気がした。」(「玉藻」昭和三十四年六月号)

 

この時立子さんが何と読んだのかは分かりませんが、『生とか死とか悲しとか淋しとかそういう他のすべての感情を超越して、ただただ荘厳という一言に尽きる』というのは、色即是空と結びつくような気がします。ただの「むなしい」という表現では、この「荘厳」にはならなかったのではないかな、と思います。

 またその数年後、「あくびと俳句」という題で

 

「俳句のことで『理屈』をいつても仕方のないことであろうが、かつて虚子先生の下で二、三の人が俳句について話しあったことがあった。(中略)先生は

『欠伸(あくび)の出るほど長い間、ものを見ていることですよ。そうするといままでに見えなかったものが見えてくる。いままでになかったような心が動いてくる』

『こんなことをいうと、ああ虚子の写生というのは結局欠伸かと、軽蔑(けいべつ)するでしょうがね』

とそんなことをいわれて破顔一笑されたことがあった。

 道元禅師に

『仏法を習うとは自己を習うなり、自己を習うとは自己を忘るるなり、自己を忘るるとは万法に証せらるるなり、万法に証せらるるとは自己の身心および他己の身心を脱落せしむるなり』

 という言葉があると聞いたことがあるが、この『仏法』を俳句と置きかえて見ても面白いところがあるように思う。しかし万法に証せらるるなどという客観世界の万物と自己が一つになるなどということは到底常人には思い及ばぬことであろう。

 しかしまた、そこは虚子先生のいわれた『欠伸』もあるいはその一段落であるのかもしれぬと興味深く思われるのである。

 すべては自然界であろう、すべては空(くう)であろう。」(「毎日新聞」昭和四十一年二月六日)

 

素十のこの「空」という考えが、どこから出てきたのかは分かりませんでしたが、 虚子の影響という可能性もあるのでは?と思います。まさに「くうしかり」です。

 

素十の俳句から

そして素十の句に

「夏の人空手来りて空手去る」

というものがあります。これは昭和45年の5月、老齢の素十が発病した日に作ったものです。晩年の句に、虚子の句を思って作られたのだろうなと思われるものがいくつかあって、

「わが星のいづくにあるや天の川」

「天の川西へ流れてとどまらず」(いずれも昭和51年7月作。その年の10月に逝去)

これらは虚子の

「われの星燃えてをるなり星月夜」(昭和6年9月)

「星ひとつ命燃えつつ流れけり」(昭和30年9月)

「虚子一人銀河と共に西へ行く」(昭和24年)

と関連していると思われます。

そうすると、

「夏の人空手来りて空手去る」

「春の山屍を埋めて空しかり」

も何か関連があるように思われます。

 

さいごに

 「くうしかり」と読む決定打は見つからなかったのですが、読み方ひとつで解釈が変わったり、その後の弟子たちの書いた文章や句への影響についても考えたり、十七文字という非常に限られた中での、言葉の可能性がいかに広いか教えられた気がします。

これから句を読むときに、先入観で当たり前の読み方をするだけでなくて、他の可能性も探っていけたらいいな、と思いました。

 

さいごになりましたが、「俳句」の木下さま、大きな気づきをありがとうございました。他ブログの引用がはじめてなので、失礼があったら申し訳ありません。

 

主要参考文献

「底本 高濱虚子全集 第1巻俳句集(一)」毎日新聞社

「底本 高濱虚子全集 第3巻俳句集(三)」毎日新聞社

「底本 高濱虚子全集 第4巻俳句集(四)」毎日新聞社

「素十全集 第1巻 俳句編」明治書院

「素十全集 第4巻 文章編」明治書院

「素十全集 別巻 俳句編 句評編 文章編」永田書房