はるには

俳句と着物と好きなもの

秋桜子と素十から見た「虚子」

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   お久しぶりです。もう2月終わりとか嘘でしょ…?ってなってます。

週末に着物着てぶらぶらしてました。そうしたら1ヶ月が過ぎていた。早い。早すぎる。

 

 2月に水原秋桜子の『高濱虚子 並に周囲の作者達』が文庫版で発売されましたね!電子書籍版もあったので今回はそちらにしました。本棚を圧迫しない上にどこでも読める…ありがたい…ッ!そして新仮名なので読みやすいなあと。旧仮名の方が味わいはあるんですけど、読み慣れないとなかなか…

 一昨年くらいに、虚子に興味を持ち始めた頃に、タイトルに釣られて読んだのがこの本(昭和27年発行の文芸春秋社版)で、読み終わる頃には親友→ライバルとして書かれていた素十が好きになっていた…という、自分にとって印象深い本だったりします。

 

 今回はその感想…ではなくて、この本の山場とも言える、虚子と秋桜子の決別(「句集『葛飾』」あたり)の虚子の態度について、秋桜子目線と素十目線をメモしてみたいなと思います。

 

 

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   発行所には虚子がひとりでいた。原稿をさし出すと、それを受け取ったのち

葛飾の春の部だけをきのう読みました。その感想をいいますと……」

ここで一寸言葉をきったのち「たったあれだけのものかと思いました」

と言った。私は

「まだまだ勉強が足りませんから」と答えたが、心の中では、やはり想像していた通りだと思った。これは客観写生に対する私の考えのちがい方、句評会の空気の息苦しさに対する反撥ーーその他が積り積もった結果だろうと考えられた。だからこれはむしろ当然のことなので、私にはあまり刺戟を感じない言葉であった。

       水原秋桜子 句集「葛飾」(『高濱虚子 並に周囲の作者たち』)より

 

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 これを初めて読んだとき、その後の虚子のセリフも相まって、まず「厳しいなあ、冷たいなあ 」と感じたような記憶があります。そりゃあこんな態度をとられたら離れたくもなるよな~とか。

 が、その後、虚子本人や素十たちの文章を読んで、あれ?これって秋桜子に対してだけではないのでは?と思うことがぽつぽつあったので、今回は素十目線の文章を抜き出してみます。

 

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 昭和三年にホトトギス第二雑詠選集が出版され、それにつづいて昭和五年に「句集虚子」が出版された。虚子先生の自選句集としてはこれが最初のものではなかったかと思う。

 この句集虚子の出版に当って私も少々お手伝をした。手伝といっても、それは雑詠選集の時の手伝と同じく、先生の選んだ句を書き写すとか、校正するとかいった程度のものであったが、(中略)

 又いよいよ句集が出来た時に先生は「自分のいま迄にやった俳句がこれだけのものかと思うと淋しいですね」と言われたのを今でもはっきり思い返すことが出来る。

           高野素十『芹』昭和34年5月 句集虚子(『素十全集』より)

 

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 まず当時の虚子の句集は

『虚子句集』 昭和3年6月(春秋社)

『句集虚子』 昭和5年3月(改造社

のふたつがあって(名前がややこしい)、素十は昭和5年の『句集虚子』の方を手伝ったと思われます。

そうすると、

虚子 『句集虚子』 昭和5年3月

秋桜子『葛飾』   昭和5年4月

と、発行年月日がとても近い。上記の虚子自身の「これだけのものか」と、秋桜子に対する「あれだけのものか」は、ほぼ同じ時期だと考えてよいのでは?と思います。

虚子本人がどういう意図で言ったのかは分からないけれど、厳しくて冷たいようだが、自分に対しても似たとようなことを言っているし、秋桜子を斥けるつもりではなかったのではと思ったりしました。

 

 それにしても句集の発行日の近さに驚く…。秋桜子が自分の句集を馬酔木から発行しようとしている時、素十は虚子の句集発行の手伝いをしている…っていうのが対照的だなと。ちなみに素十の初句集は昭和22年。周りに出せ出せ言われて、すべて出版社任せならいいよ(どの句を入れるのかすら関わらなかった…)っていう。そのあたりもこだわって出した秋桜子と対照的で面白い。

対象が違うので一概には言えませんけど、秋桜子にとっての「あれだけのものか」は刺戟を感じず、素十にとっての「これだけのものか」は印象に残っている…というのも興味深いです。

 

そして、秋桜子には厳しくて素十には甘かったのかというとそうでもなく、

 

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虚子先生にはよく叱られた。酒を飲むといっては叱られ、寝ろと言っては叱られ、選句が拙いといっては叱られた。句会で先生の選に入った句について、どうも自分で大したこともないと思う句であったので「先生あれでいいんでしょうか」と尋ねると言下に「あなたの句とは思いませんでしたね」とニベも無く答えられた。「クソオヤヂ」と済まんことであるが何度も思ったことがある。

(中略)

先生も年を重ねられ衆生済度のような心持になられたのかなと思う様になってからは叱られることも無くなったのが少々淋しかった。

(中略)

山本玄峰老師のことを読んで大へん興味を覚えたのであるが、その中に、

   上師は仇につく。中師は恩につく。下師は勢につく。

という言葉があった。つまり、上師ーほんとうの坊主になるものは師家と仇がたきになって、こごとや叱咤にくいついて、なにくそという意気込で修業する。中くらいのものは可愛いがってくれたとか親切にしてくれたとかいう恩について修行する。下師ー一番下等なものは、あそこに大勢いるがあの師家はどうだという勢について修業する。という一節があった。

 

      高野素十『芹』昭和36年10月 萩塔にだけ言うこと(『素十全集』より)

 

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という好きなエピソードが。「クソオヤヂ」って(笑)

 実際どのようなニュアンスで会話がなされていたのかは知る由もありませんが、このひたすら淡々とした虚子の態度が、捉える人によって色々な解釈が(当時も現在も)されているんだなと興味深く思ったのでした。

 

 

参考文献

高濱虚子 並に周囲の作者たち』 水原秋桜子 講談社文庫 平成31年

『素十全集 第四巻 文章編』 高野素十 明治書院 昭和46年

『新潮日本文学アルバム38 高浜虚子』 平成6年