はるには

俳句と着物と好きなもの

続・虚子と碧梧桐楽しい温泉旅行 (碧梧桐『湯河原日記』より)

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一月もあっという間に過ぎていきますね。

寒さもピークですが、昨日散歩をしていたら、椿のつぼみが膨らんでいたり、梅の花が咲き始めていたり。春が確実に近づいてきている~!と嬉しくなりました。

先日、結社の初句会&新年会に参加してきました。今回は選にもれたけど、楽しかった~!自分では見逃していた視点とか、知らなかった季語にも会えるので勉強になります。

そして去年の年末から何故か着物にもハマって、好きな句からヒントを貰ってコーデを考えるのが楽しくなっています。写真のはプラネタリウムを見に行ったときのもの。素十の「雪片の賑かなりし梅の花」コーデ。(プラネタリウムのテーマが「雪」だったので)

そういえば初句会にも着物の方がいらっしゃって、ひとりはお茶の先生だからかピシっと、もう一人の方はゆるっと。どちらも着こなしが恰好良くて、来年の初句会は着物で行きたい!と思ったのでした。

で、色々していたら更新遅くなってしまいましたが、湯河原日記、碧梧桐編です!

 

 

「湯河原日記」

一月二日

朝、新橋を出て、小田原で昼飯を食ふた。

人車鉄道は乗手があっても、車がないといふので、貨車に乗せられた。四方格子作りで天井のない吹きすかしである。風の強い日で寒い。海ばたの砂埃をまともに吹きつける。浪のとばしりも散りかゝるといふのであつた。

山へかゝつてからは、それ程風はあてなかつたが、人夫が汗をかくほど、寒さは追ひ/\堪へられなくなつた。そこで予は一人絵の浦といふところまで、半里ばかりの道を歩いた。おかげで汗が出た。

絵の浦には幸い下等車のあきがあつたので、貨車組五人、それに乗移ることになつて、日が暮れて門川といふところに着いた。こゝで下車する。

車で湯河原に上つて、中西屋に入つて、四方太に遭つた。まづ一風呂浴びやう、まア酒を一盃といふので、やう/\人心地がついた。虚子は二合徳利をあけてしまふて、もう眠いと言ひ出す。

三人枕を並べて寝たのはこれが始めてゞあつた。四方太と予は、寝ながらいろんなことを話した。吾々仲間の事、レ、ミゼラブルの事、文章の事、俳句の事、以後はお互ひに何かの批評を怠るまいといふ事、批評をする時は少々過言もあるが、それには腹を立てぬといふ事。何だか湯河原まで小言を喰ひに来たやうにも思つた。

 

一月三日

隣室の赤坊の泣く声に目が覚めたら、裏を流れて居る川の音が耳について眠られない。どこかで三時をうつ。これではならぬと、またもぐり込む。(中略)

六時起床、冷水摩擦、例のとおり。朝は飯を食はずに牛乳を飲んで居たが、それがないので、玉子湯一杯。二人が雑煮をかへんか、などと言ふて居るのが少々羨ましかつた。

中西屋は満員なので、虚子と予は別に宿をとることになつて、藤田屋の三階にきめた。しかし二人の部屋は別である。二室とも東南をうけて明るいので、気に入つた。虚子のは八畳、予のは六畳。昼前に引越した。

昼後うしろの山へ三人で上つた。箱根へ越して行く山ださうだ。きのふの名残の吹颪はまだ寒かつたが、山畑の蜜柑の残りをとつて食ふたのはうまかつた。

帰つて謡一番。一風呂浴びて夕飯にする。

九時半寝る。蒲団は中西屋のに大差ない。やはり友禅染花色裏であつたが、敷蒲団が短いので足が出るのには困つた。眠りしなに思ひ出してまた一風呂。

昼飯 鳥鍋、椀盛、酒一盃。

夕飯 蝦のつけ焼、とうふら鍋、酒。

小使 なし。

 

(一月)四日

六時目が醒めた。虚子を起す。冷水摩擦。けさは牛乳をとつて置いてもらふて二合飲む。副食物カステラ。

新聞売子が来る。日本新聞を一枚買ふた。

(中略)

昼後、三人で大弓場へ遊びに行く。これが湯河原の遊び場所である。予が射るのがそれ矢に始まつて、虚子のはくねり矢、四方太の流れ矢などは見物であつた。

それからうしろ山畑へ上つて、九年母を貰ふて食ふた。梅が咲いて居る。

明日は四方太が帰るといふので、夕飯後二人で遊びに行く。さすがにお別れだ。鮓がある。菓子がある。蜜柑が出る。餅を焼く。談また沸くが如くで、お隣の八人連の一座なんど蹴落として仕舞ふた。

餅腹を抱へて温泉に温まつて十時寝た。

昼飯 塩焼、ウマ煮。

夕飯 味噌汁、鳥大根、酒。

小使 湯婆二箇二十銭、菓子十銭、弓ひき料十銭。

 

(一月)五日

六時起床。冷水摩擦。四方太の車を三階より見送る。今日もよい日和である。かねて土肥実平の城跡を見に行きたいと思ふて居たから、予一人案内者を連れて出掛ける。門川近くまで下つて、それから左で山裾を廻つて行くのである。城山の麓に城願寺という実平遠平の二人を葬つた寺があるので、先ずそこに詣つた。(中略)実平遠平の墳墓は左手の森の中にあるので、丈はひくいけれども、五輪の石塔は如何にも物古りて居る。(中略)

寺を出て城山に上る。頂きまで十数町。伊豆中央の山脈を背に負ふて、前には相模灘が追開いて居る。門川、吉浜の町を脚下に、初島大島を眼下に瞰下ろして、遥かに三浦岬を望む風光さすがに快い。城跡といふのはこの山の絶頂なのであるが、今はその残塁もとゞめないで、僅に平らな地面と。礎でもあつたかと思はれる大石が処々に、磊々ところげて居るばかりである。(中略)

山を下りて吉浜村に出て遅い昼餉を認めた。吉浜村は戸数数百、門川村の倍程あつて、湯河原の食物は多くここに仰ぐのである。留守の虚子に約束して、鯛を買ふて来る筈であつたが、正月休みで、釣舟が一艘も出ないといふことであつた。三時すぎ帰寓。下駄で山坂をあるいたのでさすがに草臥れた。

虚子と弓を引く。大分上達。

籤(みくじ)就蓐。

飯  牛乳二合 副食物なし。

昼飯 吉浜にて牛肉と鯵。酒。

晩飯 かき菜味噌、ナンバンむし、酒。

小使 寺へ茶代十五銭、吉浜昼食代六十五銭(但し二人前)、菓子八銭、矢場代十五銭。

入湯 二回。

 

(一月)六日

六時起床。すぐ日記をかきにかゝる。

新聞売子来る。朝日一枚。

こゝへ来た時から、中西屋とは違て静かな家だと思ふたが、客も大分きのふに帰つて、なおさらシーンとして来た。三階は二人で背負ひきりである。三時弓ひきに一人で行く。四五本ひいて居るうちに雨が降り出した。

夜に入ってなお降る。明日帰らうといふのに、運のわるいことだ。

土産に写真、糸巻などを買ひに行つた。虚子同導。虚子は子供の土産は二つ同じでないと喧嘩する、などゝ苦心の体であつた。

帰つて宿屋の勘定を取る。

この時までまだ後に残る筈であつた虚子は、一人になると淋しいなア、をきッかけに、帰らうか知らん、熱海へ行かうか知らん、それとも残らうかしらん、ときまりのつかぬことを言ひ出した。実はきのふも予が城山に行た後で、如何にも淋しうて一所にゆけばよかつたと思ふたといふ話である。とう/\帰ることにして仕舞ふて、勘定を取る声さッ急であつた。

ぢやアお別れに一杯と夜更けて酒肴を命ずる。発句を作る。謡をうたふ。湯の中でもうなる。それで掉尾の勇を振るふた積りである。

十一時荷造りして寝る。雨音滴瀝。

朝  牛乳二合。煎餅五枚。刺身、めだい味噌焼。

夕  豆腐味噌汁、めだい味噌焼。

小使 弓代十銭。写真二枚二十四銭。糸巻五束十一銭。共に土産物。

入浴 二回。

 

(一月)七日

雨戸がガタ/\いふ音に目が覚める。大変な風らしい。けふは一番の人車で帰る筈であつたから、すぐ跳起きる。人車は七時半頃に出るのだ。冷水摩擦、大便、牛乳を飲む。なか/\忙しい。天気は風のために吹き晴れて、はれ/゛\として居るので安心した。

車で二人門川まで出る。宿の主と女中が二三丁も追掛けてオサラバをする。冷たい風で足の先がちぎれて飛びさう。

十時小田原に着く。うしろの高い山の上に雲が積んで居た。

東京に着いたのが二時であつた。汽車中で相撲の新番付を見る。岩谷天狗ばかりが、門松もその侭正月の姿であつた。

(明治三十六年『ホトトギス』一月号)

 

 短詩人連盟河東碧梧桐全集編纂室『河東碧梧桐全集』12巻より

 

虚子がまったりのんびりと過ごして淡々と描いているのに対して、碧梧桐は活発に動いて生き生きと描いていて、うーん対照的。同じ時間を過ごしても着眼点や表現の違いがはっきり見えるの面白いです。蜜柑ひとつにしても、碧は「うまかつた」で、虚は「酢つぱきこと甚だし」。省略しちゃった部分だけど、虚子の「(蜜柑が)うまいどころか酸つぱくて三十二枚の歯が一時にゆるぎ出しさうだ」という表現好き。好みの違いなのか、虚子の蜜柑が外れだったのか。

そしてへーさんの書くきよさん可愛すぎない?

今回省略した部分や、湯河原余記と雑詠も面白いので原文もぜひ。

 虚子の分はこちらから↓

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