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初空や大悪人虚子の頭上に (虚子の句鑑賞)

f:id:haruniha:20190103181012j:plainあけましておめでとうございます。

「初空や大悪人虚子の頭上に」(高浜虚子)

新年で思い出す句のひとつ。

お正月ののんびりした空気にいきなりの「悪人」。
しかも悪人って虚子本人?えっどうした?正月からキョシった何かあった?!って驚きもします。

今回は、新年のおめでたい空気をぶちこわすような力のある、この句を鑑賞したいと思います。

季語と読み方

季語は初空。元旦の大空のこと。(虚子編の新歳時記より)
上五「初空や」の「や」で一度切れて、
下五「頭上に」は「づじやうに」と読むのでしょうか。
中七「大悪人虚子の」は9文字で字余りになっています。ただの「悪人」にすればぴったりなのに、「大」って意味があるのかな。というか「悪人」って何だろう?
字余りの中七になにかドラマがありそうです。

悪人って?

まずは「悪人」について。
一般的に悪人というと、そのまま「悪い人」。広辞苑では「心の邪悪な人。悪事をはたらく人。わるもの」。
これもアリだと思うのですが、私は仏教の「悪人正機」などの「悪人」から来ているのではないかな、と考えています。虚子は真言宗大谷派の僧侶たちとも交流があり、無宗教だと本人は言っていますが、影響は大きかったと思います。

悪人正機」は色々解釈があるそうですが、親鸞の思想のひとつで、歎異抄「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」に代表されるもの。
「善人とは自力で修業する人、悪人とは煩悩をもつすべての大衆をさす。人々は平等に悪人なのであり、その自覚のない善人ですら往生できるのだから、悪人であることを自覚した他力信仰者の往生は疑いない」(山川日本史小辞典より)
煩悩にとらわれ、仏の救済に頼るしかない凡夫のことを悪人という(百科事典マイペディアより)のならば、つまり、自分は「悪人=凡夫である」と虚子は言っているのではないでしょうか。

この句は大正7年1月に作られたもので、大正2年の俳壇復帰から5年後、ホトトギスが順調に発展している頃のものです。
が、私生活では、大正3年に四女の六を亡くしており、大正4年12月には「落葉降る下にて」で六の看病とその死についてをモデルとした小説を書いています。その中に「『善人すら成仏す、況や悪人をや』と言った親鸞上人の言葉が流石に達者の言として沁々として受け取れた」という一文がありました。
また、大正6年5月の「鎌倉の一日」(日記・紀行文として分類)にも六のことを書いており、その子の墓に行くことが慰安となっていること、その墓の前に立ったときには「そこには善もなく悪もない絶対境の門戸に立ちつゝあるような心持がする」こと、今でも往々にして姉妹の口から六が今まで生きていたらどうでしょうという言葉が出ること、等とありました。
蛇足ですが、昭和23年に書かれた「寿福寺」にも、今朝夢うつつに六の臨終のことを考えていた、六のことを思うとその臨終のことを思い出す…とあったので、そのかなしみの深さがうかがわれます。

上記のことを踏まえると、新年を迎えて空を見上げた時、亡くなった娘のことを思い出したのかもしれません。
おそらくまだ数え年を使っていた頃だと思うので、新年は今以上に意味があるものだったのでしょう。亡くなった娘はもう歳を重ねないけれど、凡人の自分はこうしてまた歳を重ねてしまった。そんな自分の頭の上にも、新年ののどかな空は広がっている…。

「大」の意味

そして、なぜわざわざ「大」とつけたのか。
「初空や悪人虚子の頭上に」
では、ぼんやりというか、あまりインパクトがありません。
そういえば、
「子規逝くや十七日の月明に」
も下五が「げつめいに」ではなく「つきあきらかに」なのだと虚子記念館で解説されていました。
「げつめいに」だとぴったり収まるし、冴えざえとした月も浮かぶけれど、少し報告的かな?という感じがしましたが、「つきあきらかに」だと字余りになるけれど、もう少し感傷的というか、月のきらきらした感じも出て、何より響きが素敵だ、と感じました。
ちょっと逸れましたが、ただの「悪人」よりは「大悪人」の方が、印象的で、響きもしっくり来る気がします。

それに加えて、先述の「悪人=凡夫」であるならば、「大悪人=大凡夫」、つまり自分は「凡夫中の凡夫」であると言いたかったのではないでしょうか。

まとめ

明治38年の「俳諧スボタ経」をはじめ、のちには「俳句は極楽の文学である」とまで言った虚子。長生きをして、身内をはじめ、多くの人を看取った虚子。俳句に携わることで、最も救いを求めていたのは「大悪人」虚子だったのかもしれません。

と、ここまで書いてから、虚子本人がこの句の「悪人」について『玉藻』誌の「問・答」コーナーで答えているのを見つけました。
昭和15年の1月に、「大悪人という複雑なる御意を知りたい」という読者の問いに、
親鸞が自分を大悪人といったという心持ちを、面白いと思っている私であります。」
と、一言。その一言がずべてを物語っているような気がします。

煩悩を持つすべての大衆「悪人」のひとりである、自分の頭上にも広がっていた今年の初空は、雲一つなくとても澄んでいました。


主要参考文献

「底本 高濱虚子全集 第1巻俳句集(一)」毎日新聞社
「底本 高濱虚子全集 第9巻写生文集(二)」毎日新聞社
高濱虚子全集 第4巻」改造社
高濱虚子全集 第6巻」改造社
「虚子俳句問答下 実践編」角川書店
「大正俳壇史」村山故郷 角川書店
「新潮日本文学アルバム 高浜虚子」新潮社
近代俳句と仏教 : 高浜虚子について